人の不幸が大好物

 

「人の不幸は蜜の味」という言葉があるが、

他人の不幸をあざ笑う人が多いことに気持ち悪く思えた。

 

これって、

人間の性質なのでしょうか?

 

 

友達が「もう最悪。」なんて言葉を発したら

すぐさま食いついて「何なになに!」と返してくる人はよくいる。

 

これは心配なのか、面白がっているのか。

 

きっと、

内容を聞くまでは「わくわく」して仕方ないのが本音ではないだろうか。

 

「彼氏に振られた…。」

なんて言葉を聞いた時には、

その場で上手いこと取り繕ったように、

「大丈夫、男なんで他にもいっぱいいる!」

と発して起きながら内心、

「ほら、やっぱりな…」と思ってる。

 

 

悩みを相談するふりして、

親身になってるふりして、

心の中では笑ってる。

 

 

聞いてる人からしたら、

痛くも痒くもない話。

 

 

別に全く同じ気持ちになって

悲しんだり、辛い想いをする必要はないが、

人の不幸話が楽しい人は、

きっと自分自身もいつまでも幸せになれないのだろうな、と思う。

 

 

逆を言えば、

人の幸せ話は聞いてて気分が悪いのだろう。

きっと、

身近な人がいい事があっても、

喜べずに妬み僻み、

そのネタを別の人間に愚痴り出す。

 

 

そうすると、

不幸話が好きな人は、

自然と幸せな人間とは離れていく。

(面白くないから。)

 

 

不幸な人はどんどん不幸な人とくっついていく。

幸せな人は幸せな人とくっついていく。

 

 

たまに、

この人といるとなんか嫌だな…

そう思った違和感は大体当たっている。

本来交わることのない人といるから。

 

 

例えば、グルメな人は

美味しいご飯屋さんを物凄く知っているが、

勿論自らが調べてご飯屋さんに出向いているから。というのも大きな理由にあるが、

出向いたご飯屋さんから

また別の美味しいお店を紹介してもらったり、

グルメな友達が出来て情報交換しあったりするからだ。

 

(とても話が脱線した。)

 

 

人間は、同じような人といると

居心地がよく、楽しい気持ちになるので、

自然と同じ人間が集まる。

 

 

楽しい人には楽しいことをする仲間が増えていき、

不幸話が好きな人には不幸な人がたくさん寄ってくる。

 

 

ただ、楽しい人・幸せな人にも

不幸な出来事はやってくることは必ずある。

でも、悲しい気持ちになり、どん底まで落ちたとしても、絶対に乗り越えられる。

それは楽しい毎日を知っているから。

 

 

人を幸せにするには、

まず自分自身が幸せになること。

小さなことに喜びを感じて毎日を生きる。

 

それだけで、

毎日が明るくなっていく。

周りも明るい友達が寄ってくるようになる。

そしたら、

もっと楽しい毎日がやってくる。

 

 

好きで他人の不幸話を楽しんでいるのは

勝手なのかもしれないが、

私は、この幸せは連鎖だと思っている。

 

 

だから、周りで不幸話を楽しんでいる人をも

幸せにさせるくらい

小さな幸せから身近な人と分かち合えればいいなと思う。

 

 

‪⁽⁽ଘ( ˊᵕˋ )ଓ⁾⁾